まずこのblogは、言葉にする背中を押してくれたフェイランさんがいなければ書けなかったし書かなかった。心からの感謝を込めて。
そしてディレクターの1人ジュリエットへ。(Huge respct!)
機会をくれた、Hila&たけちゃん(めっちゃありがとう)
この話を聴いてくれた、くるみさんにあてて書きます。
2022/10/2 KYOTO EXPERIMENT 2022『TANZ』(DAY2)

KYOTO EXPERIMENT 2022『TANZ』
当日、開演18時30分にもかかわらず私はひどく二日酔いだった。
けれど、二日酔いで本当に良かった。
そうでなければ、頭がフリーズしていたかもしれない。
ぐらぐらするのが、お酒のせいにもできるエクスキューズがあって助かった。
私の人生の中でこれまでもこれまでも1番刺激的な出来事を目の当たりにした。
もう、これ以上が今の私には分からないので舞台に、もう行きたくないかもしれない。
リアリティから目を背けない勇敢な真の美しさ。
そして、今の時代を生きる葛藤が声や動きや叫びや体温、肌人間の全てで表現されていた。
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0.What’s TANZ? (HPより)
1.美しさとは
2.場所の意味
3.私はなににこれほどまで揺さぶられたのか
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0.
ー美の歴史を高らかに更新する「アクション・バレエ」ここ数年、ヨーロッパの舞台芸術シーンでもっとも話題を呼んだ作品は?と聞かれたら、まず挙がるのが本作『TANZ』だろう。そんな数々の賞を受賞してきた衝撃作がついにアジア初演となる。タイトルの『TANZ(タンツ)』はドイツ語でダンスの意味。舞台は、『春の祭典』を世界ではじめて裸で踊った(1972年、J. ノイマイヤー振付)ベアトリス・シェーンヘルのバレエ教室。本作は、固定化されたジェンダーの象徴としての伝統的なバレエの世界を題材としながら、その“伝統”をアクロバティックな演技で軽々と飛び越えていく。10人の女性たち演じるバレリーナは、血みどろのバレエの特訓と心身の鍛錬を重ね、ついには空中浮遊という超能力的なパワー(ワイヤーパフォーマンス)さえも習得してしまうのだ。完璧な美しさを追求してきたダンスの歴史――そこにリミックスされるコメディ、サーカス、ポルノといった過激なイメージ。美という名のもとに眼差されてきた女性の身体をあっけなく逆手にとり、芸術表現における女性の身体史に新たな一石を投じる。いまヨーロッパで誰よりも注目を集めるアーティスト、フロレンティナ・ホルツィンガーと、さまざまな経歴を持つ20〜80代の女性ダンサーたちがつくり出す、センセーショナルで痛快な問題作。これを見逃す手は今のところない。(HPより)
1.
優雅な音楽でクラシックバレエのレッスンがはじまったと思いきや、先生は糸もまとわない、あられもない姿で指導をはじめ、生徒たちをありのままの姿へ導く。
次々と服を脱ぎ捨てていく生徒たち。
ー性の対象として扱われてきた女性。「好きなようにみれば」と言わんばかりに開脚し、舞い、恥じらいもなくすべてを観客へさらけ出す。呼吸は穏やかで周囲を気にする眼ではなく、ZONEに入ったような遠くを自分をみつめるような眼をしている。
ー男は〇〇であるべき
ー女は〇〇であるべき
ー社長は〇〇であるべき
サイレントマジョリティの代弁者としての声にならない声や悲しみ怒り葛藤、すべての表現それが過激なサーカスとなり、見る人の重荷や偏見をも解放させるような儀式だったようにも思う。
社会的な美しさを一方的に押し付けられた時ーそれを、自ら汲んでしまった時ー人は息ができないほど苦しくなる。
この舞台を見ている間、刺激的でどきどきし息をのむ場面がありながらもなぜだかとても爽快で、心地良い穏やかな気持ちになった。
正岡子規の言葉、「美は絶対に非ず。」
この舞台上で軽やかに踊る女性たちのようにふるまえたら、私たちはどれだけ楽になれるだろう。
2.
これがアムステルダムだったら?
ロンドンだったら?
同じ行為でも場所や文脈によって意味が異なり、京都という地で開催された意味とインパクトは測り知れない。
3.
クラシックバレエといえば、一般的にはピンクや白が浮かぶ。
私の心象では今回は、赤と黒。
そのコントラストに、イメージをおしつける社会への中指を立てる抵抗と、それ以上にイメージで物事をみている自分を突き付けられる。
心地良くない、違和感を感じる時。つまるところそれは私自身に対してなのかもしれない。
服を着るべき、バレエはこうあるべき、舞台はこうあるべき・・・
イメージや偏見を社会から押し付けられる女性の叫びを聞きながら、現代の社会の成熟度となによりもそのシステムに加担している私、イメージと偏見を少なからず持っている自分と対峙させられる時間であり解放のはじまりの時間だった。
これは、1人では見られなかった。し、終わった後も言葉を交わせる大切な人たちがいてやっと少し整理できた。控えめに言って最高でした
バッファロー66を見よう。
☆フェイランさんのポストより
ーTANZ タンツ
KYOTO EXPERIMENT 2022『TANZ(タンツ)』を見てきた。
これほどまでに、痛快に女性の性の偏見に対して中指を立てたアートパフォーマンスは未だかつて無かったんじゃないだろうか。
Lookism やGender Equality が重要視されるなか、この作品は『性の対象として扱われてきた女性』を様々な角度で取り上げ、それをラディカルにPOPに表現し、ポルノ市場を構築する様々な男目線の滑稽さ、その中で(まさに)踊らされる女達、またその文化を継ぐ古い女性像にも『FUCK』している。
重力を感じさせない、妖精のような可憐なダンスと究極のチラリズムがロマンティックバレーの極みであり、その為にバレーシューズを血まみれにしながら踊る女性達。それはマッチョなバイクと裸の女という現代のわかりやすい性的構図や、女性をサディスティックな視点で鑑賞する極端なフェティシズムも全ては同じであり、男性の性的興奮のために鑑賞物として耐える女性、その『滑稽さ』が彼女達のパフォーマンスの『露骨な表現』により抉り出されていく。
この作品が与えるショックはかなり大きくて、ガン!と頭を破られた後に、じわじわと男の為に生きてきた女性の『美』の解放といった開眼がはじまる。そして、私たち女性の美への執着とは?それは何の為の美なのか?多様性の中にある一人ひとりの美しさとは何なのか?といった健やかな問いが後から湧き上がってくる。
この時代にこの舞台を実現できた京都の芸術に対する寛容さと、これを認める社会がここ京都にあるとしたら、それは女性の社会的価値の変容を促す大きな価値ある一歩だと思った。
